鳥原継接

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【欠席:5/16東京文フリ】読む#ヤクブーツはやめろ 『薬物』アンソロジー / 文文文庫

文文文庫アンソロジー『薬物』テーマクスリ・ドラッグを縛りに書かれた短編小説を三本収録。SF百合ックス暗黒神話…老紳士からクスリを買う鐘守りの娘…大麻で結ばれた少女たちの巨大感情関係…。胡乱な話が含有されて、お得な一冊になっています。目次「産地によって成熟時期に差があり」鳥原継接「カプセル・シュガー」空木賢一「とにかく明るいラリ村」寒川ミサオーーーーーー成宮葉月は、魚の鮭が好きだ。オスメス混じって気が狂ったように一斉に川の上流へ遡ると、メスは大量の我が子をゴミみたいにひねり出して、それにぶっかけようとオスの放出された精子で川が真っ白に染まるのをテレビで見たのだ。あのバカみたいな大口を開けたまま卵と精子に全身まみれて、バカみたいに死んでクマに雑に食われたりする大群になぜか強い親近感を葉月は持っていた。奥歯に挟まれて『天使の卵』は魚卵じみてつぶれた。予期した生臭さは一切なく、ほのかに苦かった。葉月は自分の裸の胸元にタピオカドリンクを少しづつひっくり返した。流れたカルーアミルクに誘われた芽衣子が下腹部からあがってきて、舌先で葉月の上に乗った赤い卵を舐めとり、パンくずを啄む小鳥みたいに唇の先でキスをしながら、葉月は舌に乗せた卵を芽衣子の舌と一緒に甘噛みする。潰れた卵から漏れたドロリとした液体は喉を下り、舌から喉が痺れ、気管がせばまり呼吸が苦しくなる。ーーーーーー産地によって成熟時期に差があり」鳥原継接町の外から商隊の馬車が連なって走ってくるのも見えた。そういったものを見るたびに、みんな鐘守より楽しそうだなと羨ましくて仕方がなかったけど、今の私にはカプセルがある。そう思うと、何だか笑えてきてしまった。包み焼きを手早く食べ終わると、お待ちかねの紙袋を開ける。1、2と数えると、間違いなく十粒ある。流行りものだと分かっていたら、もう少し買っておいたのに。ちょっとだけ後悔。さっそく一粒口の中に入れてみる。コロコロと舌の上で転がすと、なるほど確かにほんのり甘い。何か果物のような味にも思えるし、ただの砂糖のような甘さにも思える。なんだか不思議な味だ。我慢できなくなり、思わず歯で噛み砕いてしまう。中に何か入っていたみたいで、じんわりと蜜が溶け出してきたような甘さが広がってくる。さっきよりも格段に美味しくて、涎がたちまちあふれ出てきたせいで、思わずごくりと飲み込んでしまった。ーーーーーー「カプセル・シュガー」空木賢一安村は唐突にベッドから飛び上がる。そしてベッドの下から大麻草でパンパンになったスーパーの袋をいくつか引っ張り出して、まるで修学旅行の枕投げでもするみたいにあたしに向かってポンポン投げてくる。あたしが手で払いのけた袋の一つが破けて部屋の中で大麻草が散り散りになって舞う。エアコンの送風にさらわれた濃密な草いきれが部屋いっぱいに広がって、目眩に襲われたあたしはベッドで横になり、跳び上がって上からダイブしてくる安村の細すぎる体をウッ、、、と抱きとめる。安村はあたしに馬乗りになって冷蔵庫から出してきたビールを自分で一口だけ含み、後は全部あたしの胸にぶっかける。あたしの口に指を突っ込んで強引に広げ、缶に残ったビールを全部流し込んでくる。(中略)安村は冷蔵庫からビールをもう二、三本出してきて机の上に並べて指でなぞる。そのうち一本を開けて一気に飲み干そうとして、でも出来てなくてむせ上がり、カーペットに酒をぼたぼたこぼしながら、濡れた頰を手首で拭って言う。早く死んじゃいたい、と。どうにかなっちゃいそう。ーーーーーー「とにかく明るいラリ村」寒川ミサオ特別試し読み『産地によって成熟時期に差があり』鳥原継接 もうすでにお酒を飲みすぎて、ほとんどわけがわからないまま、倒れかけの独楽みたいに上半身を振れさせていたはずだった成宮葉月は押し付けられていたマシュマロみたいな柔らかさと口のなかを這いまわる生暖かい感触、胸にのしかかる水風船のような重みが息苦しく、肩を掴んで引き剥がした目の前には、葉月の口から唾液の糸を引いた空原芽衣子の唇があった。 葉月が芽衣子とキスをしていたことを認識する前に、にへらと笑った芽衣子は赤い顔を再び押し付けてきた。耳には、新入生同士でやるじゃあん、なんて先輩たちのゲラゲラした笑い声と、爆音のミュージックが聞こえ、酸欠になりつつある頭で、葉月は芽衣子が酔うとキス魔になる事実を知った。ギブアップに、芽衣子の背中を葉月は叩くとぺちぺちいうのは、芽衣子はすでに上半身が裸、下はパンツだけの姿だからだ。葉月は、女同士は初めてだなあ、できるかなあ、と攪拌された脳みそで心配事を考えた。 新歓で声をかけられたサークルが飲みサーだとはわかっていた。男女比で男の割合があからさまに多いテニスサークルは十中八九そうだと葉月は偏見があったし、新歓合宿に誰一人テニス道具を持って行かないので疑惑は確信に変わった。一軒家のコテージでバーベキューをしながらテーブルに置かれた日本酒、ワイン、ウォッカ、テキーラ、ウィスキーの瓶瓶瓶ビンビン。買い出しのレジ袋に箱買いのコンドームが覗き見え、酔った女の先輩が、サークル第二位のヤリマンですと自己紹介をしてゲラゲラ笑っている様子を見て、間違いなく飲みサーではなくここはヤリサーなのだと葉月は確信した。 葉月は処女ではなかった。葉月はそういうことで、安心をしていた。高校の時は男と複数関係を持っていたし、友達に「少しは自重しなさい」と言われたが、葉月はそんなつもり最後まで毛頭なかった。ちょっと不順異性交遊が多くて貞操観念がゆるいだけだよ、あとはふつうだよ、そう思っていた。 やれば案外食べられるもので、食わず嫌いだったと、葉月が芽衣子の頭を腿に挟んでいると、向かい合わせのソファで、「葉月ちゃんはァ、『天使の卵』って知ってる?」と女の先輩がにやにや笑う。「知ってりぅぅぅ」と「る」が「りゅ」になる言い方で葉月を舐めていた芽衣子が葉月の代わりに、バカな犬みたいに舌を出したまま顔を上げる。「名前だけェ、クスリでしょ」 葉月は後で知ったことだが、芽衣子は帰国子女で、外国にいた時はマリファナをよくやっていた。マリファナだけじゃない合法だか違法だかわからないハーブもくゆらして、アッチにいたころは、ほとんど頭がめちゃくちゃだったとケラケラ笑って彼女は話す。帰国してから容易にクスリは手に入れられなくて、めちゃくちゃだった頭はかろうじて脳みそのかたちをしているとうそぶくが、それでもゆるゆるである。「天使の卵ですかあ」と繰り返す葉月。間延びした言い方。「クスリぃ?」「そっちゃあ、そうね」と先輩。「新入生には早いだろ?」そう言ってソファを乗り越えて、パンツ一丁の上級生が女の先輩の隣に深く座った。ワインをラッパ飲みして、そうは言ってもクスリの勧誘を止める気はないから、にやにや笑いのまま「ダイジョブだって、安全、スマートドラッグってやつ」なんていう。「LSD?」と芽衣子が葉月の股ぐらから聞いた。「LSDはスマートなのか?」先輩は首をかしげると、「合成だからね、頭良くなきゃつくれなさそうじゃん、科学の結晶、英知でさ……」と芽衣子。 女の先輩が肩をすくめた。「あなたまだキメてないのに、キメてるみたいだね……『天使の卵』、最高に気持ちイイから、ちょっとくらいやってみなよ……あたしらもう何回もやってるんだ……、からだにも悪くないからさァ」「あ、もうちょっと強く、あ」 息を荒くするだけの葉月は芽衣子の後ろ頭を掴む。「てか、あっちじゃもうしてるって」と男の先輩は、隣の女の胸を揉んで言う。もちろん、部屋のあちこちで、裸だったり半裸だったりする男女が南国の楽園さながらさかんにヤりあっている。彼らが手に手に持つコップには、タピオカドリンクの太いストローが刺さる。テキーラとソフトドリンクを混ぜたトロピカル色したカクテルの底には、赤くて丸いグミみたいな粒粒がたくさん沈んでいる。 ――天使の卵だ。先輩が指に摘まんだジップロックに入ったつやつやと赤い粒。 飲み会の初めに、先輩が唇に人差し指を立てて葉月たちに見せてくれた。あの時、「鮭の卵ですね、魚の」赤いタピオカかイクラに似ている。と呟いた葉月に、「えへへへへイクラだってェ、葉月ちゃんおもしろおおおい」雑に手を叩いてゲラゲラ笑った先輩は、横から割り込んできた男の先輩と舌ベロと舌ベロでなめ合うようにキスをした。あの無造作に果実をむさぼりあう原始的な森の猿のような先輩たちの行為は葉月にとって、大学デビューを鮮烈に感じさせた。一種、それは葉月にとって救いだったのだ。既刊なので電子版がやっぱりあります(あるのか?)

【欠席:5/16東京文フリ】国道百合線 『旅と百合』アンソロジー / 文文文庫

文文文庫「旅と百合」テーマアンソロジー「国道百合線」寒川ミサオ・空木賢一・鳥原継接の短編が19種類。今まで以上のボリューム感。少女が旅をする。百合をする。バットで、忍者で、アフガンで、札束をばらまいて、ホラー?SF?純文学?旅する百合する短編集。収録作「すっきりサヨナラホームラン」鳥原継接「明日のキミと会うために 」空木賢一「ゴールデン・デイズ 」寒川ミサオ「レンタント、九州へ行く 」鳥原継接「URKEEN-①南国編」寒川ミサオ「URKEEN-②瀬戸内編 」寒川ミサオ「URKEEN-③大阪編」寒川ミサオ「寧々と、籐子と、柳次郎の恋。」空木賢一「エコーロケーション 」寒川ミサオ「ニコ」鳥原継接「カエルの姫さま」空木賢一「ラジオガールゴーゴー」寒川ミサオ「レンタント、地獄のアフガンへ行く」鳥原継接「エルちゃんのお隣事情」空木賢一「好きなひとのはなし」空木賢一「観賞魚の窒息法」寒川ミサオ「URKEEN-④東京編」寒川ミサオ「URKEEN-⑤霊山編 」寒川ミサオ「RENTanTo、怒りのデスロード」鳥原継接試し読み「すっきりサヨナラホームラン」鳥原継接 町には甲子園のようなサイレンが鳴っていた。熱風は埃っぽいドライヤーみたいで、暴れて口に入った髪の毛先をそのまま咥えていた。 息を切らせて漕いできた自転車から私は飛び降りる。休みの続く学校の前で、チユは校門に寄りかかって待っていた。 暴力的な日差しを雨みたいに浴びていたチユは、涼やかな顔で私に小さく手を振った。 恥ずかしいほど汗でびっしょりの私は食べていた髪を払うふりをして、手の甲で垂れた汗をぬぐう。自転車のストッパーを蹴って立てた。汗で腿に貼りついたスカートの皺を直した。親にはなにも告げずに、着なくて良いはずのセーラー服を着て私は家を出たのだ。 チユの背中のスクールバックには、金属バッドが刺さっている。突き出て、銀色に光っている。不釣り合いである。見ていると、チユは、戦車の砲塔みたいでしょ、とわけのわからないことを笑って言った。そういう天然なところがクラスで好かれているのだと思った。 自転車の後輪に立ったチユと二人乗りをする。熱い風が背中をぐいぐい押す。水泳部だった私はチユを乗せるくらいなんでもないほどパワフルで、彼女は軽い。私とは違う物質で構成されているみたいに軽い。髪が風に踊っている。プールの塩素でぼそぼその頭の私。浅黒い私とちがって、肩を掴むチユの手は白くて綺麗だ。てのひらはしっとりとしていて、チユの汗は、上がる気温と関係のないもっと美しく正当な仕組みで流れている。 彼女は、優秀だったから、頭のいい都会の大学に行って、素敵なキャンパスライフを送る。町を歩いていたら、スカウトされて、読者モデルになったりするキラキラした生活が待っている。みんなも、私も素朴にそう思っていた。高校を出てすぐ働いて、きっとこの町から出ることもなく、私なんて魚屋を営む単純な両親と暮らし続けて老いるのだと思っていた。いつまでも。潮と魚とドブの臭いがするこの町で、少しずつ考えられなくなって、ちょっぴり脳みそが真っ白になっていくことを諦めながら、幸せにやっていけるんだと思っていた。 学校からほど近い大川沿いには船が繋がれていて、岸には古ぼけたプレハブの網小屋が並んでいる。河口の橋げたの下にはひときわ傾いた木造のあばら家が密集していて、人気のない小屋は、よくそういうことに使われると、生徒たちの間で話のタネだった。 通称「バッティングセンター」と呼ばれる小屋を覗きに行くのは男子に限らず女子たちの間でも秘密の冒険だ。田舎だ。みんなやることもないし、球とか棒とか、そんな冗談がみんな好きだった。あまりにも、おあつらえむきで、板壁に空いた穴を覗く私たちはまるで漫画みたいだった。私たちは毎日、このつまらない町で漫画みたいなことを探して、漫画みたいなことを見つけようとしていたのだ。何組の誰それと誰それががあそこでしているのを見たとか、友達のあの娘がこの間彼氏と「バッティングセンター」に行ってどうだっただとか、そんな噂がいつだって教室の隅で私たちの黄色い歓声をつくりあげた。 多分に漏れず私も気になっていたけれど、やっぱり恥ずかしく、話に混じりながらも見に行く勇気は出ないまま。行ったからって、必ずやってるわけやないでしょ、運じゃん、そう言って友達の前で、「大将」とあだ名されるくらい普段は豪胆なふりをしている私が言うと、友達は顔が赤くなっているとからかうのだ。 友達と別れて帰ったふりをしたあの日、意を決した私は「バッティングセンター」を訪れた。もう今後機会はないと思ったし、今月はもう家族と一緒にいるつもりでそう伝えていたから、ひとりになれる瞬間は少なかった。なのに、そうだ。一人ではなかったのだった。 そこにはチユがいた。チユはオレンジ色をした丸いウキと死んだ網の間にしゃがみ込んで、空いた節穴から小屋の中を覗いていた。妙にその背筋は美しかった。 足音に振り向いたクラスのマドンナは、あっけにとられた私を見ると、唇に人差し指を立てて、反対の手で手招きをする。 本来、私と深い交流のないまま挨拶だけを交わす、同じクラスメイトで終わったのだ。グループが違うんだから。まさか彼女がこんな下世話な場所にいるなんて思いもしない。 あっけにとられたまま誘われ、彼女の隣にしゃがみ込む。私はなぜこんなことをしているのだろうと催眠術にかかったように、頭をボウとさせている。節穴を彼女は指さす。人差し指は細く反っていた。私とは違う生き物みたいに。 穴は長年の塩風で白くなった板に空いていて、誘われるまま、のぞき込む。接吻のようだと思った。暗い小屋の中が見えた。 だんだん目が暗闇になれる。境界を無くした女と女の影が蠢いている。 私は息をひそめた。黙っていた。網にこびりついて落ちない磯の生臭い匂いに混じって、いきものの体液の臭いが微かにする。くぐもった声。畳まれている服は、同じ学校の制服である。 女同士だね。と、彼女が言ったのが聞こえた。物理書籍の残数がほぼありませんが電子版があるのであんしんです

【欠席:5/16東京文フリ】読むストロングゼロ 『酒』アンソロジー/ 文文文庫

文文文庫「酒」テーマアンソロジー「読むストロングゼロ」寒川・空木賢一・鳥原継接の簡単に読めるショートショート(?)が13種類。もう考えるひつようはありません! お酒を飲みながら読むとたいへんはかどるフレッシュな短編集です!収録作品「衝動2018」寒川「一升瓶さんと缶チューハイさん」空木賢一「俺は飲み放題」鳥原継接「ソルティ・ドッグ」鳥原継接「ゴリ酒」寒川「ラフメイカー」鳥原継接「真夜中のカニハンター」寒川「殻とビール」鳥原継接「夏のサカナ」寒川「お酒は二十歳から」鳥原継接「リバースワールド」空木賢一「おしまいの国へはるばると」鳥原継接「狂い水への供物」寒川試し読み「殻とビール」鳥原継接 抱えていた重い袋を玄関口に投げおろし、ずぶ濡れの身体をまずどうにかしなくちゃいけなかった。Tシャツの裾をそのまま絞るとアホみたいに水が出た。廊下に水が垂れて漏らしたような跡ができる。これなら裸のほうがまだマシだ。そのうち本当に裸で出かけるかもしれない。 雑巾のような饐えた匂いのする掛けっぱなしのバスタオルを頭にのせて、脱衣所へ行った。水底のように暗いこのマンションの一室で、浴室の明かりだけがついている。どうせアキだ。 風呂の戸を開ける前から、匂いだけで酔いそうだった。 アキは両手に500mlのビール缶を掴んで、逆さにしていて、ボドボドボドとションベンのように黄色い液体がバスタブに泡立っていた。足元には空き缶がいくつも転がっている。まるで戦争映画の空薬莢だと思う。「なにしてんの」というと、アキは「見てわからないの」とバスタブの横でいって、積み置かれた段ボールから新しい薬莢を取り出してプルタブを起こす。それはわかる。「ビール風呂。ゴージャスでしょ」 といって、額から生えた二本の触角を光らせる。 俺は背中からアキの裸の腰に手を回す。掌や腕に、冷たくぬめりきったメカブのような触感だ。抱き着いた俺をアキの波立つ背中がヌルヌルと撫でる。花弁のように彼女の背中は蠢く。腹足というのだ。カタツムリとかはここで這って歩く。背中にあるが、彼女の腹は本来こちら側らしい。 抱き着いたまま彼女の首元に顔をうずめ、離すと俺の無精髭と彼女の首筋の間に膜となって粘液が引く。磯と酒の臭いに少し吐きそうになるが、首筋の黒子はどうしたってアキのものだ。抱き心地も、乳房だって、この身体はアキのもの。 故郷は海辺の町だった。かつては漁業で賑わったものの、今じゃ見る影もない錆びだらけの町。俺はあの錆と潮風が嫌いだった。町おこしのゆるキャラ、カタツムリ「デンデン」の看板は一か月もたたずに折れて、エシゴの婆さんを下敷きにした。 町おこしで町長が強く推し進めて始めたのが、エスカルゴの養殖だった。町全体で大きな借金をしながら養殖場を立てた。町長は町で唯一大学を出ていた。後には誰も引けなかった。 毎日、老いた父も母も虫籠のなかのエスカルゴにキャベツをやっていた。一匹一匹に声をかけていた。養殖場のスピーカーからはモーツァルトが流れていた。こうすると美味くなるとコンサルにいわれたのだ。出荷さえすればすべて救われるとでも思っているようで、デカくてなま白いカタツムリが触角を出したり引っ込めたりしながら、キャベツの葉の上をズルズリ這っている姿全部が、この町をゆっくりとカルシウムの重い殻に閉じ込めていくように思えた。 あの時俺には思えたんだ。全部町のせいにしていただけなんだ。うまくいかないことを、不甲斐ないから。責任を取る勇気がないから捨てた。そうだ、アキのことだって。アキと最後に会ったのは、逢瀬を重ねた浜辺の網小屋。俺だけが逃げ出したんだ。アキは町長の娘だった。ビール風呂にアキと浸かった。追い炊きをすると、麦とアルコールの臭いが浴室に満ちた。一種の酒池肉林だな、と服を着たままアキを前に抱いて湯に浸かり思う。黄金色のお湯はローション風呂みたいに糸を引く。「かんぱぁい」 温くなったビールを楽しそうに掲げて、アキは飲む。飲まなくったって俺はもう十分酔っぱらっている。首の後ろを湯船の縁にあずけて、回る天井を睨んでいる。「……お前、こんなにビール好きだった?」「殻を捨ててからね」「なめくじはビール好きっていうし……やっぱ、なめくじなんかな」「わかんない」首を回して、アキは俺の目をのぞき込む。「……ねえ、何だと思う?」そのまま口づけをする。 酒臭い。アキは笑う。 全身からビールの匂いをさせたまま、俺はベランダに出る。 雨で冷えた風が、濡れた身体にあたって、湯上りにちょうどいい。壊れた雨どいから落ちてくる滝のような雨水を手で受け止めて、俺は喉を鳴らして飲んだ。生ぬるい水は埃っぽい味がしたが、酔っぱらった頭を少しでも覚ましてくれるよう願って。 腐って黴が生えた観葉植物の植木鉢を俺はおもむろにベランダから投げ捨てた。雨で白くけぶった街並みに、植木鉢は吸い込まれた。アスファルトで割れた音は聞こえなかった。 雨の音がうるさい。ガラス戸越しに、まだ浴室で童謡の「あめふり」を歌っているアキの鼻歌が聞こえた。 アキ。アキ。俺はポケットからジップロックを取り出し、なかの煙草を一本咥えてライターを擦る。湿気っているからか火がつかず、試して六回目に着いた煙草の煙を肺一杯に入れた。吐く。煙。吐いて、蹴った。ベランダにまで持ってきた、さっき買った袋を蹴った。二十五キロの塩の入った袋を蹴って、蹴って、蹴り続けて俺は泣いた。 雨が止まない。 町を閉じ込めたように、近くの街灯さえ見えない。了既刊なので電子版があるようです