【欠席:5/16東京文フリ】さかなとり 『魚怪類』アンソロジー / 文文文庫
素晴らしい方が書いていただいた感想↓
「魚怪類」テーマアンソロジー
自殺したあいつを食べて成長する神の魚。雨の街の狩人と深きものども。隕石の落下で生まれた湖の生しらすを食らう女。人類滅亡後の星の黄昏時を生きる人型海棲生物。
あらゆる生命は魚類から始まり、魚類へと還るという……闇と宇宙、いきもののぜんぶ。
すべてが理解るアンソロジーを提供します。全4作を収録した不穏な短編集。
収録作
水のない水槽で 鳥原継接
継承 空木賢一
おさかな天国の侵略 鳥原継接
海蝕の日 寒川ミサオ
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もう一匹魚を投げ与えると、あいつはタッパを片付けた。
「神様だって両親は言っていたが、違うさ。新種の生き物だ」
あいつは私に携帯を黙って渡した。映されていた動画を再生した。
動画はあいつが撮ったものだ。場所はこの池と同じ場所だった。周囲の木々は紅葉していたから、少なくとも半年は前だろう。画面が揺れて、池から陸に乗り上げた上体を石畳に乗せた生き物が、ぜんそく患者のような呼吸をしていた。私がさっき水面に見た生き物と少し違う。生き物には白い毛が濡れて貼り付き、小動物のような耳と黒くうるんだ目玉、ひげの生えた鼻をひくひくさせた。トドかアザラシのようだった。下半身の尾鰭が水の中で揺れ、貧弱な前足が石畳を掻いている。あいつが凍ったハツカネズミを与えていた。毛皮から伸びた触手がネズミを手から受け取り、口へ飲み込んだ。
一時期、ラボのネズミの数があわなかった理由に合点が着く。
「魚以外を食わせるとどうなるのか調べていた」とあいつが言った。
「こいつ、食べたものの形質をコピーするのさ。両親に言われたよ。にんげんさまを、わたしたち一族はここに封印し続けているのだ、ってね。わたしたち一族は、こいつに魚を与え続けて、魚の姿に固定することで、陸にあがらないようにしているらしい。ずっとずっと昔から」
揺れる画面に映るネズミとおたまじゃくしを合体させたみたいな生き物。合成実験に失敗した怪物を撮影したあいつの話す内容が、いまだ現実感のないB級映画に聞こえた。
「陸にあがったらどうなるの」
尋ねると、あいつが答えた。
「さあな、地上の人間をやっつけるんじゃないか」
----「水のない水槽で」抜粋 鳥原継接----
よだれを垂らした魚人の口ががばりと開き、何が起こったのか分からないままの子供の頭にかぶりつく。温かな血肉が口いっぱいに広がり、ぷるぷるとした脳みそと、軟骨のような頭蓋骨を噛み砕く音が奏でる至福の調べに、魚人はうっとりとする――そんな光景を幻視していた。
だが、現実には飛びかかる瞬間に魚人の腕は根本から断ち切られ、バランスを崩した魚人は壁に勢いよく激突し、水路内部に轟音を響かせるのみであった。婆にとって、魚人の浅知恵など子供のイタズラよりも見抜くのは容易く、気付いていないフリでセラを囮にしたのだが、セラ自身は婆の後ろで真っ青な顔をしており、囮にされたことに全く気付いていなかった。気付かない方が良いこともあるだろうと婆は思う。
「――ここがクソ臭いのは分かっちゃいたが、あんたの生臭さの方がにおうんだよ。クソの方があんたの悪臭よりかはいくぶんマシってものさね」
「ええ……糞溜めの方が臭いよ……」
----「継承」抜粋 空木賢一----
炊き立ての米のにおいに混じって、腥い潮の匂いが膨れる。
醤油を回しかけると、赤黒い液体に濡れた魚が、ひくひくと尾を震わす。
まだ生きているらしい。
新鮮な証拠だ。
町内会長とやらは、なぜ彼女にボウル一杯もの生しらすを与えるのだ。
というかこれは生しらすなのだろうか。
生しらすってこんなのだったろうか。
目がないのだ。
しらすはイワシ類の稚魚だと聞くが、目のない稚魚はなんの魚なのだろうか。それにこの魚はどちらが頭か尾かも判然としない。爪の大きさより少し長いくらいの魚体は両端どちらもすぼまって、鰭や鰓も見当たらない。なんなら、半透明の短いひもだ。S字やくの字にそれが何百匹も飯の上で身をくねらせている。
さかな、というより粘液にまみれた細かな蠕虫の群れ……。
――それ以上は食欲がなくなるので考えないようにしている。
----「おさかな天国の侵略」抜粋 鳥原継接----
書庫はあたしたちの背丈の何倍もある大きな本棚で埋め尽くされている。本棚と本棚の間には通路はおろか、わずかな隙間もなく、部屋全体に書物がびっちりと詰まっている。本は部屋の奥に行くにしたがって古くなってゆき、当然古い本ほど強力な《呪》を宿しているわけだから、奥の本棚の口を手前の本棚の背で塞ぎ、弱い呪いで強い呪いに蓋をする、ということをしている。水平方向に本が堆積し、地層のようになっているというわけだ。
だから奥の本棚に到達するには、まずその手前の本棚の一段を空にし、背板を外し、次の本棚にアクセスする。これを繰り返し、地層にトンネルを掘っていくしかない。
あたしが求めているのは『山川詳細 世界史 高校B 図録』と呼ばれる古典だった。一度目を通したことがあり、その時は酋長が、大陸の地図が欲しいと言っていたのだった。この本はかなり奥の地層にあったと記憶している。
----「海蝕の日」抜粋 寒川ミサオ----
特別冒頭試し読み「水のない水槽で」鳥原継接
映画で化学薬品がダバダバ下水に流れた描写の後に、海とか川とか湖とか冒頭で釣り人が魚を釣るシーンあったりするだろ。見たことないか? 背骨の曲がった奇形魚が釣れるヘドロだらけの海だとか、湖で釣れた鰻みたいなのが怪獣の幼生だったりする。たいていその時点では気持ち悪い魚だって、釣り人に逃がされるのだ。そうそうそう、見たことあるだろ。保健所でも水族館でもいいから持ち込めばいいのに、って考えたことないか。最初のささいな異常を見過ごすからあんなことなっちゃうのだよ。しないから、見てるこっちは先の展開知ってるわけで、あー、これが怪物になるのになあ、この時点で殺しとけば犠牲者も最小限でよかったのな、とか思うけど、それしちゃったらお話が終わりだし、しかたないよなぁ、ってわかるやつ。 あいつが言った。
「ああー」と私は言う。
「韓国映画のグエムルみたいなやつ」
「そうそう」
片手に持った缶チューハイをあおった。
「それで?」
「そういうのしたいんだ」
あいつがブラックライトを向けると、魚は怪しく緑色に光った。
バケツの底を人魂みたいに泳いでいる。あいつの持って来たその小ぶりな鱒は青い光を浴びると体表を蛍光させ、たまにパクパクと水面から空気を吸った。
橋の欄干に広げた総菜パックからシシャモの尾をつまみあげた。頭から齧りながら、「なるほどなぁ」と私は、なにもわかっていないのにわかったふりでうなずいた。
対岸の土手を走るオジサンが不思議そうに私たちを見ていた。女二人が橋から川を見下ろしながらコンビニ袋片手に、バケツを囲んで酒盛りをする光景がそんなに珍しいか。
珍しいかもしれないな。
土手のランナーを目で追いながら私は口を開く。
「考えたことあるんだよね。この地球上でさ、わけわかんない魚ってのは、けっこー漁師に釣りあげられてると思うわけよ。アマゾンだとかメコン川だとかでね。でもさ新種
だろうが怪物の稚魚だろうがかなりの数がちょっと珍しいかたちの魚ってだけで、リリースなんてされずにお持ち帰りされてると思うのよ。すこしくらい頭にツノとか生えて
てもさ、魚市場に並んで知らず知らずに現地のひとの胃袋に入って誰にも見つからずひっそり滅んでるってわけ。なにがいいたいってさ、この川さ、鱒の放流してるじゃん。小学生が市と共同で」
「知ってるよ。だから実験だ実験」とあいつは欄干の上で腕を組みながら、咥えたシシャモを口元で揺らす。
「オワンクラゲの蛍光タンパク質を発現させる遺伝子を組み込んだ魚はかなり一般的に研究で使われるものだが、不思議なことに子孫は数世代で発光する形質を失うのだ。それをすこし、プロモーターのあたりの配列を工夫してみた。うまく繁殖が進めば、この川の鱒はみんな光るようになるぞ」
「この川で取った鱒さ、私の行く食堂でも出してるよ」
「加熱したら光らない。タンパク質だから」
「そういう問題かな。たぶん私の口に入るよこれ。けっこう食べものに神経質なのよ。そう見えないだろうけど。ほんとなわけ。気にするんだよねぇ。知ってる? 魚介のエビみたいなやつ、何百匹ものシャコが海中でびっしり団子になってるからなんだと思ったら、人間の死体に群がってたって話。東京湾のシャコは水死体を食ってるってきいてからシャコ食えないのよ私」
「それは関係ないだろ」
あいつは缶を喉にひっくり返して、楽しそうに笑った。
「その形質が次世代に繋がらなければ新しい生き物にはなれない。上手に子孫へ遺伝して、ここで釣りあげられる鱒がぜんぶ光ったらきっとおもしろいぞ」
「おもしろいかなあ」
私は首をかしげる。
「おもしろいって」眼鏡の奥で子供みたいに目が笑う。「だってわたしのつくった生き物だ。もしも神様がいるなら、ぜんぶの生き物がそうある理由を知ってるはずだろ。ここの
鱒が光る理由をだ。わたしらしか理由を知らないってことになったら」
素敵じゃないか。
とあいつが言った。
ふたりだけが神様だ。
これは神様になる実験だよ。
なんだこいつこんなロマンチックなことを言うやつだったのか。
鼻で笑ってやりたいが、でも私も弱いのだ。こういうの。
「すこし酔ってるだろ」
「あはは、カシマも顔赤いぞ」
なんだよぉ。もぉ。
素敵だなっ!
私はバケツを掴み、川面に向かってぶちまけた。
あいつの改造魚は、水と一緒に空中を飛んだ。
飛沫がたって、夕日で金色に光る水面に魚は消えた。
産めよ、増えよ、地に満ちよ。
あいつは大仰に呟いた。
――遺伝子に刻み込まれた形質のように、このたわいもない一瞬を忘れることはないのだろうと、どうしてか私は確信していたのだ。あの鱒も、赤く染まった河川敷も、飲み込んだシシャモも、欄干に置いた缶レモンチューハイの味。いたずらっぽく目を細めたあいつの横顔だって。
何度も、頭のなかのジオラマを違う角度から見るみたいに思い出している。だからこうしたときにふと、記憶をいじくり返している自分に気がつくのだ。
既刊なのでぶっちゃけ電子版があるぞ!
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