【欠席:5/16東京文フリ】読むストロングゼロ 『酒』アンソロジー/ 文文文庫

文文文庫「酒」テーマアンソロジー「読むストロングゼロ」

寒川・空木賢一・鳥原継接の簡単に読めるショートショート(?)が13種類。

もう考えるひつようはありません! お酒を飲みながら読むとたいへんはかどるフレッシュな短編集です!

収録作品

「衝動2018」寒川

「一升瓶さんと缶チューハイさん」空木賢一

「俺は飲み放題」鳥原継接

「ソルティ・ドッグ」鳥原継接

「ゴリ酒」寒川

「ラフメイカー」鳥原継接

「真夜中のカニハンター」寒川

「殻とビール」鳥原継接

「夏のサカナ」寒川

「お酒は二十歳から」鳥原継接

「リバースワールド」空木賢一

「おしまいの国へはるばると」鳥原継接

「狂い水への供物」寒川


試し読み「殻とビール」鳥原継接

 抱えていた重い袋を玄関口に投げおろし、ずぶ濡れの身体をまずどうにかしなくちゃいけなかった。Tシャツの裾をそのまま絞るとアホみたいに水が出た。廊下に水が垂れて漏らしたような跡ができる。これなら裸のほうがまだマシだ。そのうち本当に裸で出かけるかもしれない。

 雑巾のような饐えた匂いのする掛けっぱなしのバスタオルを頭にのせて、脱衣所へ行った。水底のように暗いこのマンションの一室で、浴室の明かりだけがついている。どうせアキだ。

 風呂の戸を開ける前から、匂いだけで酔いそうだった。

 アキは両手に500mlのビール缶を掴んで、逆さにしていて、ボドボドボドとションベンのように黄色い液体がバスタブに泡立っていた。足元には空き缶がいくつも転がっている。まるで戦争映画の空薬莢だと思う。

「なにしてんの」というと、アキは「見てわからないの」とバスタブの横でいって、積み置かれた段ボールから新しい薬莢を取り出してプルタブを起こす。それはわかる。

「ビール風呂。ゴージャスでしょ」

 といって、額から生えた二本の触角を光らせる。

 俺は背中からアキの裸の腰に手を回す。掌や腕に、冷たくぬめりきったメカブのような触感だ。抱き着いた俺をアキの波立つ背中がヌルヌルと撫でる。花弁のように彼女の背中は蠢く。腹足というのだ。カタツムリとかはここで這って歩く。背中にあるが、彼女の腹は本来こちら側らしい。

 抱き着いたまま彼女の首元に顔をうずめ、離すと俺の無精髭と彼女の首筋の間に膜となって粘液が引く。磯と酒の臭いに少し吐きそうになるが、首筋の黒子はどうしたってアキのものだ。抱き心地も、乳房だって、この身体はアキのもの。

 故郷は海辺の町だった。かつては漁業で賑わったものの、今じゃ見る影もない錆びだらけの町。俺はあの錆と潮風が嫌いだった。町おこしのゆるキャラ、カタツムリ「デンデン」の看板は一か月もたたずに折れて、エシゴの婆さんを下敷きにした。

 町おこしで町長が強く推し進めて始めたのが、エスカルゴの養殖だった。町全体で大きな借金をしながら養殖場を立てた。町長は町で唯一大学を出ていた。後には誰も引けなかった。

 毎日、老いた父も母も虫籠のなかのエスカルゴにキャベツをやっていた。一匹一匹に声をかけていた。養殖場のスピーカーからはモーツァルトが流れていた。こうすると美味くなるとコンサルにいわれたのだ。出荷さえすればすべて救われるとでも思っているようで、デカくてなま白いカタツムリが触角を出したり引っ込めたりしながら、キャベツの葉の上をズルズリ這っている姿全部が、この町をゆっくりとカルシウムの重い殻に閉じ込めていくように思えた。

 あの時俺には思えたんだ。全部町のせいにしていただけなんだ。うまくいかないことを、不甲斐ないから。責任を取る勇気がないから捨てた。そうだ、アキのことだって。アキと最後に会ったのは、逢瀬を重ねた浜辺の網小屋。俺だけが逃げ出したんだ。アキは町長の娘だった。

ビール風呂にアキと浸かった。追い炊きをすると、麦とアルコールの臭いが浴室に満ちた。一種の酒池肉林だな、と服を着たままアキを前に抱いて湯に浸かり思う。黄金色のお湯はローション風呂みたいに糸を引く。

「かんぱぁい」

 温くなったビールを楽しそうに掲げて、アキは飲む。飲まなくったって俺はもう十分酔っぱらっている。首の後ろを湯船の縁にあずけて、回る天井を睨んでいる。

「……お前、こんなにビール好きだった?」

「殻を捨ててからね」

「なめくじはビール好きっていうし……やっぱ、なめくじなんかな」

「わかんない」首を回して、アキは俺の目をのぞき込む。「……ねえ、何だと思う?」そのまま口づけをする。

 酒臭い。アキは笑う。

 全身からビールの匂いをさせたまま、俺はベランダに出る。

 雨で冷えた風が、濡れた身体にあたって、湯上りにちょうどいい。壊れた雨どいから落ちてくる滝のような雨水を手で受け止めて、俺は喉を鳴らして飲んだ。生ぬるい水は埃っぽい味がしたが、酔っぱらった頭を少しでも覚ましてくれるよう願って。

 腐って黴が生えた観葉植物の植木鉢を俺はおもむろにベランダから投げ捨てた。雨で白くけぶった街並みに、植木鉢は吸い込まれた。アスファルトで割れた音は聞こえなかった。

 雨の音がうるさい。ガラス戸越しに、まだ浴室で童謡の「あめふり」を歌っているアキの鼻歌が聞こえた。

 アキ。アキ。俺はポケットからジップロックを取り出し、なかの煙草を一本咥えてライターを擦る。湿気っているからか火がつかず、試して六回目に着いた煙草の煙を肺一杯に入れた。吐く。煙。吐いて、蹴った。ベランダにまで持ってきた、さっき買った袋を蹴った。二十五キロの塩の入った袋を蹴って、蹴って、蹴り続けて俺は泣いた。

 雨が止まない。

 町を閉じ込めたように、近くの街灯さえ見えない。



既刊なので電子版があるようです



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