『癲狂恋歌』(大坪命樹様)
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ところで『癲』という字、常用漢字じゃないですね。
調べてみたらこれでテンと読むらしいです。
意味は、”気が狂うこと”。
おそらく”恋に狂うお話”もしくは”狂った恋の話”ではないでしょうか。
さて、あらすじ紹介から参りましょう。
主人公・露美(つゆみ)は短大を卒業した記念に友達と旅行に行くという嘘で家出します。
理由は夢のため。
露美は高校二年のときに祖父の遺品であるドストエフスキーの『白痴』を読んで衝撃を受けます。
『白痴』から「美しい人間」を描こうとする意志を感じたのです。
ナスターシャのように熱烈に求められたい、あるいはロゴージンのように激情に苦しみたい、あるいはムイシュキンのように純粋に愛したい……
しかし現実の世界に存在する露美は自分の生活の凡庸さ、日常の味気無さに絶望します。
それをきっかけに露美は小説家を志しますが露美の成績では都内の大学に合格することなどできず、両親もまた露美よりも成績が優秀な妹の方に投資しました。
両親に夢のことを話したものの、そんな博打のような妄想は捨てて、地元のOLとして働き、適当な男と結婚しろと、露美の夢を切り捨てました。
適当なところで妥協して親にすがる道もありました。
しかし露美は自分が歩むのは茨の道だと知ってなおそれを拒絶しました。
『人生の敗北とは、精神的な死と同等である。』
露美は精神的な死を拒み、艱難辛苦だらけの夢を選びました。
私にはそれがまぶしい。
狂おしいほどに愛しい。
現実を知ってなお夢に邁進する姿は美しい。
意志によって困難に打ち克つ生き方はすばらしい。
だけど、私にはできない。
かつての私であれば違ったでしょう。
高校生の頃の私ならば理想に殉じることもいとわなかったに違いない。
なぜなら、当時の私にとって命の価値は夢と比較すれば羽毛のごとく軽かったから。
けれど、現在の私にはしがらみに塗れている。
現実というものが、生活というものが重くのしかかっているから。
そういう意味では露美は”若い”のです。
曲がることを許容しない愚直さ。
妥協を捨てた純粋さ。
それらは美しくもありますが、一方であまりにも脆く儚く危うく見えます。
しかし忘れてはなりません。
誰にだってこのように現実と理想の差に苦しんだ過去があるはずです。
露美はその”かつての私たち”そのものなのです。
レビュワー:キタイハズレ(文芸高等遊民所属・サイトオーナー)
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