「up down girls」日谷秋三著
読み終わるまえから、この凝った作りの小説は、構造をみるととても作品性が秀逸で、芸術性を強く感じた。凝った作りであり、時系列が入り組んでいて、ぱっと見どの場面とどの場面が繋がっているのか、混乱してよく判らなかったりするのだが、そのように難読性を持ち合わせていながらも、文章が個性的でユニークであり、非常に味の濃い筆致であるために、読み進ませる牽引力が強く、ぐいぐいと引き込まれた。
この小説に筋というのはそんなにないようにも思うのだが、むしろこのような複雑な家族の人間関係を考えついたときに、それに付随した過去が、必然的に自然に描かれているような感じの小説であり、純文学的無プロット性というものの一種が見られるように思った。それだけ、描かれている北家の義姉妹の人間関係が、名状しがたい興味深さをもっているのであり、アカやタバに会ってみたいかと言えば、かならずしもそのような気持ちは強く起こらないのだけども、彼女たちの人生は小説としては美しいストーリーであり、しもはちかみはちの街に行ってみたいとはつゆ思えないのだけども、小説世界としては興味深げであるという、珍妙な作品であろうか。
たぶん、僕自身が是とする小説世界の美しさというものは、この作者は意識しておらず、そのためそれほど描かれている世界が煌びやかであったり情緒があったりするわけでもない。しかし、文学的に美しい「作品」であり、めずらしい骨董品くらいの面白さはあると思われる。
読者が感じやすいテーマとしては、失敗した者たちの肯定であろうか。勝ち組負け組という言い方は古い分類かもしれないが、八条の街は、あきらかに負け組であり、そのような「失敗者」の生活を描くことで、彼等を強く肯定している。そこに、作者の情熱が感じられる。
タバが、おそらく父親に売春を斡旋されたのだろう、他の男の子供を宿して腹が大きくなったとき、タバはやりきれなくなって家出をする。そのときに、アカが寄り添うことで、その赤ん坊をアカネとして育てるという、強く生きる人生を選ばせる。その赤ん坊がおそらく、あおめなのだろうが、失敗した一家の兄夫婦は、第一子が他人の子供という致命的な失敗を背負った家族であり、それでも強く生きていこうとするところが、解体されない八条マンションの工事現場を思わせて、失敗して生きていくことの辛さや厳しさを同時に想起させることに成功している。この八条マンションは、失敗は決して取り戻せないという意味の象徴的メタファーなのかもしれない。
弱者に寄り添う小説だし、それを明文化していないところが、ますますもって巧みである。たぶん、虐げられた人々がこの小説を読むと、元気づけられるだろう効果があると思われる。口ばかり偉そうなことを言うプロ作家が多いが、そのような虚栄的なものの反対として、内実が溢れている気がする。
しかし、上述のように、構造が凝りすぎているために、一見読みづらい。そのところがどうにも、大衆に受け容れられがたい点になるのではないかと懸念されもするが、読み手が小説好きであれば、おそらくウケる作品だろう。
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