胡麻ドレッシングは裏切らない試し読みまとめ / これ様
※こちらは無料の試し読みのレビューです
『柘榴と日本の電波塔』──とある作家と編集者の物語
『なれるよ』──どこにでもいるような兄弟の悲劇
『あの広い屋上に花束を』──一人の中学生の男の子の一年間
『アディクト・イン・ザ・ダーク』──冴えない男に訪れた転機
『グッドモーニング』──男が迎える朝に隠された秘密
『綺麗事とか』──深夜のコインランドリーを舞台にした男女の会話劇
※この中では『アディクト・イン・ザ・ダーク』だけ購入しています
『柘榴と二本の電波塔』
乙女ゲーム的展開……!
圧倒的乙女ゲーム感……!
いや、乙女ゲームなんてプレイしたことなんてないんですが。
ただ、広告とかでのイメージだと凡庸な女主人公の周りに特別なイケメンたちが集まってくるんですよね。
この作品では主人公は凡庸な編集者の関、売れっ子作家の三澤とそのゴーストライターの木立が主要キャラです。
以前読んだ『アディクト・イン・ザ・ダーク』とは違って、生臭い闇は感じませんね。
どちらかと少し青臭くて甘酸っぱい恋情とでも言いましょうか。
なにせ書き出しからして強烈な純愛のオーラが垂れ流しにされていますからね。
西から吹く微風が、若葉をさざめかせている。無情から切り離された暖かな情動が、頬に触れる。世界が一瞬で切り替わる心地がした。チャコールグレーのアスファルトも、黄緑がくすんだ雑草も、底の見通せない濁った川も、目に飛び込んでくる全ての事象が、今は愛おしい。
心の奥から爪の先まで、想像もできないほど充足していき、自立することができなくなる。日盛りの惜しみない太陽光に、溶かされていくアイスクリームみたいだ。静かに、着実に崩れ、原形を留めなくなっていく。蜃気楼に隠されていく。崩壊を食い止めるかのように、ヒロトは私の背中に大きな両手を回して、強く抱き寄せてくれた。
ヒロトのにべもない優しさに包まれると、呼吸をするという当たり前が、当たり前ではなくなる。頼りがいがあるとは言えない細やかな腕と、華奢な胸板が波打つのに呼応して、私の心臓も弛緩して、鼓動を緩める。粒子のようにひらりとした髪が、顔に当たってくすぐったい。吸い上げるように私の形は元に戻り、感情の結束はより確固たるものになった。私は生まれ変わる。きっとこの先、ヒロトが抱擁してくれる度に。何度でも。
私たちは、唇を重ね合わせた。
『アディクト・イン・ザ・ダーク』を読んだときは思い出したくもない心の闇を呼び覚ますような重さがありましたが、こちらの作品は忘れかけていた思い出を見るような軽さがあります。
同じ作者の作品の中でも割ととっつきやすい作品なのではないでしょうか。
『なれるよ』
”どこにでもいるような兄弟の悲劇”らしいですが、悲劇要素は試し読みまでだとあまり感じられませんね。
兄弟は同居していますが、経済的に裕福という訳ではありません。
とはいえ、その逆に貧困にあえいでいる訳でもありません。
文化的で最低限の生活は保障されています。
ただ、書き出しが不穏なんですよね。
覚えていない。
失言で辞職した大臣。震度三の小さな地震。いじめられていた同級生の名前。
忘れていく。テレビの中のテロリズム。かつて観た映画の主人公。三日前の晩御飯。
消えない。
あの凄惨な事件。白昼夢のような一瞬の出来事。奪われた未来。
ずっと。
おそらくはこの書き出しに出てきたキーワードのうちのなにかが関わってくるのでしょうが、どれもこれも”悲劇”の原因になりそうで、かえってどれが怪しいのかわかりませんね。
前記の『柘榴と二本の電波塔』に比べると話は重めですが、『アディクト・イン・ザ・ダーク』などに比べると明るいです(少なくとも試し読みだけではそう感じました)。
気になる方は読んでみることをおすすめしています。
『あの広い屋上に花束を』
いきなりの自殺宣言。
理由は入学したときの自己紹介です。
空気を勝手に作り変える陽キャがうまく空気になじめない陰キャをいじり倒す。
ただそれだけ。
世の中を見渡せば腐るほどあるような、ある意味でよくあるこの世の不条理が人間を殺すのです。
ただし自殺を決意した主人公がいじめられていた訳ではありません。
最低限しかしゃべれなかった主人公ではなく、緊張のせいで全てにおいて失敗した「野本」というクラスメートが陽キャに何度も何度も自己紹介のときの失敗をいじられていました。
もっとも、主人公は主人公で、彼のおかげで自分のミスを小さく見せることができるからラッキーだと考えるようなやつです。
まあ、あまりほめられた性格ではありません。
そうでもしないと生き残れないのが学校という閉鎖的な世界であることは認めざるを得ませんが。
ところで、クラスの注目は野本くんに集められたはずなのに、主人公は飛び降り自殺を図ります。
いた。アイツだ。僕がこれからすることなんて、アイツが僕にしてきたことに比べたら、ほんのちっぽけなものだ。この一年と少しが僕にとってどれだけ長かったのかをアイツは知らない。だから思い知らせるのだ。アイツが僕から奪ったもの、その大きさを。
なぜ主人公が「アイツ」に憎悪を抱いているのか。
スケープゴートとなった野本くんがどのように物語と関わるのか。
続きが知りたければ本を買うしかないですね。
『アディクト・イン・ザ・ダーク』
重い、重いです。
主人公は自分とは全く反対に幸せに満ちた生活を送っているはずの職場の先輩からクスリを教えられます。
主人公は友人も恋人もおらず、惰性で生きているだけの男です。
職場でも同僚と打ち明けることもなく、食事もコンビニで買ってきたパンですませます。
クスリを知った後もそれはほとんど変わりません。
クスリをキメながら自分で慰めたら布団の中にもぐりこんでそのまま惰眠を貪る……
堕落と妥協と虚無だけで埋め尽くされた人生。
普通の人間であれば酒やクスリを楽しんだ後は多幸感・全能感で快楽物質があふれ出るはずですが、主人公にはそれがありません。
生きるに足る理由を知らず、しかし死ぬに足る理由も持たない。
重いです。
どうにか彼が幸せになってほしいなあと思います。
というか、幸せになってくれないと読者が救われない。
結末は本を買ってたしかめましょう。
『グッドモーニング』
なんというか……ひねくれ具合がこれさんらしいですね。
いや、私もこれさんのことを語れるほど知ってはいませんが、この独特の雰囲気は他の方には出せないなにかだと思います。
単純な人嫌いとは違います。
かといって積極的に輪の中へ入っていくような明るさとは対極にあります。
人恋しさを抱えながらも人付き合いを厭い、自分だけの世界に閉じこもるとでも言いますか……
自分だけの世界も自分の理想通りではありません。
苦しみに満ち満ちています。
正直、勇気を出して向き合った方が楽な気もします。
しかしこの物語では他人に触れるよりも自分の世界にひきこもってやると言わんばかりの執念を感じますね。
『綺麗事とか』
この作品は重くも軽くもありません。
毒にも薬にもなりません。
どちらかというと、水です。
ただし、命を生かす水です。
心の洗濯とでも表現するべきでしょうか。
深遠なメッセージがある訳でも、軽快なギャグがある訳でもありません。
目を背けたくなる真理を見せつける訳でも、目を剥くような美しさや正しさを魅せる訳でもありません。
どこかにある日常を切り取った作品です。
だからこそ水だと表現しました。
毒にも薬にもなれずとも水がなければ人間は生きていけないのですから。
レビュワー:キタイハズレ(文芸高等遊民所属・サイトオーナー)
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